投稿者「okuda」のアーカイブ

日課の大切さ☆

中日新聞の記事をみていたらこんな興味深い記事がありましたので
ご紹介します☆

2015・10・14 中日春秋より
豪放磊落な印象が強い文豪ヘミングウェーは、いくら深酒をしても、夜明けとともに起きて執筆をした。
そして「自分をごまかさないため」に、毎日書いた語数を表に記録したという。
作曲家のストラビンスキーは創意が湧こうと湧くまいと、午前9時から午後1時まで仕事に集中した。作曲は必ず窓を閉めて行い、 行き詰ったら逆立ちをするのが彼の流儀だそうだ。
偉大は芸術家や哲人がどういう日常的な習慣をつくり、守っていたのかを追った労作「天才たちの日課」の著者Mカリー氏は
「ゆるぎない習慣は、精神の涵養(かんよう)につながり、感情の波に流されるのを防ぐ」としてきしているが、ラグビーの日本代表・五郎丸歩選手は「日課の天才」だろう。
球を二度回して置き、ゴールの位置を確かめつつ後ろに3歩、左へ2歩、右手で球を押し出すイメージをつくり、両手を合わせて力を体の中心に集中させ、助走に・・・と儀式のごとき動きで正確に蹴りだす。
世界一とも称されるような猛練習の末に立ったW杯の晴れ舞台。磨き上げた所作の一つ一つに集中することで、とてつもない重圧やあふれ出そうになる感情と闘い、楕円の球で美しい弧を何度も描いた。
3勝したものの悲願のベスト8はならず、試合終了後は封印していた涙をぽろぽろ流した。感極まって言葉を失ったが、重ねた日課が作り上げた作品にも見えた。

という記事をみて、わぁ~と思い、すぐに切り取り、拡大コピーをして子育ち仲間に見せました
「ゆるぎない習慣は、精神の涵養(かんよう)につながり、感情の波に流されるのを防ぐ」

涵養とは地表の水が地下に浸透し、地下水となることを指す。水が自然に染み込むように、無理をしないでゆっくりと養い育てること。という意味があるそうで、日常の日課がゆっくりゆくりと体に浸み込み人間を形成していく。ということなのですね☆そしてその日課によって、
感情の波にながされる=気分に支配されるのを防ぐ
ということなのではないかなーと思いながら読み重ねています。

子たちの日課は定着し、流れているものの、子たちが就寝中の私の日課が徹底できない自分に課題があるなーと日々思う私です。。。。。笑

 

まずはこの怠惰なブログ書きを日課にいれてみよう・・・・・

泣くこと・泣けること☆

こんにちは☆ずーっと書こう書かなくては!!と思いながら、いろいろ忙しさを口実に
そして、ちょっと自分に甘えてサボってました☆しばらくぶりです!

こうしてパソコンに向かえたのも今日このHPを見て、私に素敵なメールをくれた方がいらっしゃって、
そして友人の原さんが「毎日みてますよー」とぜんぜん更新してない私にブログに注目してくれたりと
本当に皆様からありがたい気持ちをいただいたからです。

さて、今日は1年生になって、5月から夏休みまで、私が学校の授業へ付き添うか校門まで(徒歩30分)見送るかを
していた次女の話です。
次女はもともと園児のときから私と離れるのが苦手で、いつも登園後は泣いていました笑

入学後は園児時代散々泣いたらいけるかな~と思っていたら、GW当りから「行きたくない~ママがいい~」
と泣くようになり、いろいろあって私が付き添うことになりました。
そして校門前まで一緒に歩きそこでひと泣きしたら、教室へ行けるようになりました。
そのときも次女は家を出てから、学校まで3つのトンネルをくぐっていくのですが、
3つ目をくぐると、3分ほどで学校へつくのですが、その3つ目をくぐると決まってポーチから
ハンカチを出し、手に握り、門の前で涙をながし、「ママ帰りは家にいてね」と私に伝え、
門をくぐって学校へと入っていく日を繰り返していました。

そして夏休みに突入。彼女は毎日ルンルンで誰よりも早く起きて、毎日を満喫しておりました。
私は9月になったらどうなるかなーとは思っており、
私の母が次女に「9月からは一人でいってみたら?ママもお仕事とかあるから大変だよ」と言ったことは母から聞きました。
でも本人にはついて行かないからねとも伝えてはなかったのでどうなるかなーとは思っていました。

そして、新学期。9月1日になり、朝からどうするかなーと見ていると、食事が終わり→歯磨き→荷物を持つと次女が
「ママー玄関の外までは来てね~・・・・泣」と号泣しながら言うので
「うん、玄関の外までは行くね」といい靴を履く指示を出し、外へ出ました。
そして号泣しながらも通学班で並び歩いて行きました。

そして帰り時間。
夏休み前と変わらずルンルンで帰宅した次女に、「学校どうだった?」と聞くと
「うん!初めて泣かないで美奈ちゃん(姉)とバイバイできたよ☆」といい本人もルンルンでした。

2日の朝
その日はなぜか泣かずに班で並んで登校。

しかしかえってくると「ママー今日泣かないで学校いっちゃったから、美奈ちゃんと別れるとき泣けちゃった~」と言いました。
私はぷぅっっと吐き出しそうになりましたが、「そっか朝泣かないで行ったから学校で泣けちゃったんだね」といいました。

3日の朝
次女は「ママ・・・・帰ってきたらいてね~・・・」と泣いて玄関を出ました。

帰宅後「今日は泣かなかったよ!なんか家で泣くと学校で泣かないみたい!家で泣いて行くね☆」
と。

その日から次女は朝行く前に泣いて、学校では泣かずにいられるようになっています。

次女は日曜日の夕方くらいからおかしくなります。
姉には暴言を吐き、父親にはめちゃくちゃに甘え、私には泣きついてきます。
そして月曜日の朝には「ママ~わーん」と泣き 「泣きたいときは泣いていいでしょ!泣いたら学校行くもん」
といって泣いております。今朝も泣いていきました笑

長女も園児の頃10分で歩ける園を30分から40分かかって歩き「泣いてから行くー」と園の前でないて
よく登園していました。

いつも遠藤さんは「泣くことは大切。子どもも大人もね。大人も時々なくといいんですよ。」とおっしゃいます。

でも長女美奈はもうあまり頻繁にはなかなくなりました。
姉妹の喧嘩であまりに嫌だったときとか
私と言い争いになったときに、悔しくて泣くくらい。

豊かに泣いている次女をみていると、大切な時間だな~と思います。

B1講座 終わりました☆

6月の22日・23日・24日と今年の子育ち講座のB1講座がありました。

いろいろ大変な日もありましたが、なんとか無事に終わりよかったです☆

残念ながら今回欠席してしまったかたは、来年度受講してくださいね♪

私は水曜日のグループで参加させていただきましたが、
今回印象にのこった遠藤さんの言葉は
「だから~なんでそんなに自信なさそうにするの?自分が決めてやっていることもっと自信もってやればいいじゃん!
じゃないと子が迷惑するよね~!」
と何度もいっていました。

遠藤さんを前に日課を発表する回だったのですが、やはり多くの方は「いけないとおもうんですけど・・・」
のような話方になってしまったり、母親自身もよくわからなくなってしまっていたりと
いう方も少しいらっしゃいました。
もちろん遠藤式子育ちの理論を知ってまだ間もない方ばかりなので
戸惑い、そして緊張されるのはとてもよくわかります。

遠藤さんがおっしゃりたいのは「母親が迷っていたら、子はもっと迷う」ということかなと思います。

とにかく母親は信念を持ったほうがよいと思います。

そしてその上で自分がしている生活が「子が育ちやすい環境や日課」になっているかを考える。
子を育てる環境や日課ではありません。ポイントは「子が育つ」ということです。主体は子自身ということです。

母親ができることは流れる日課を繰り返し遂行し、真似で受け止めること。

遠藤さんは言葉の些細な違いにいつも着目して、私たちにハッっと気づかせてくれます。

「子育ち」と「子育て」の違いや「安心・安全」と「信頼」の差
「気分」「情動」「情操」の違いなど、
私も今でもよく考えさせてもらっています。

また7月の27日・28日・29日と講座があるのでそれまで各自で実験して→→→実践してみてください☆

7月15日も安城の勤労福祉会館で講座のフォロー回「えんどうまめの会」があります、
ぜひいらしてくださいね☆
10時~わらべうた
10時30~えんどうまめの会

になります☆

では、7月もよい一ヶ月になりますように♪

いつでもお嫁にいけるってこういうこと??

昨日のできごとです。

午後6時ごろ私は夕飯の支度中(我が家は大体6時半ごろが食事です)
長女(5年生)は豚肉ともやし炒めを10分くらいで作ってくれたあと、漢字の勉強をしていました。

6時前に公園から帰ってきた次女(一年生)は残っていた宿題を終え、自分のしたいことをしていた後、私のところへきました、
私は「お味噌汁何入れる?」
次女「ママー首痛いの。」
実は昨日の体操教室(年中時代から懇願していた体操教室に4月から通っています)でトランポリンで首をひねったらしく
昨日から痛がっていたのです、
私「やっぱりよくならない?今から病院でみてもらってこようか」
次女「うん、そうする」

私は味噌汁を作らずに、長女に「病院へいってくるけど、どうする?」
長女「私やりたいことあるし、待ってるよ。時間かかる?」
私「混んでたらかかるかもしれないけど、何かあったら電話して」

そして病院へ
自宅から数分の病院でしたが、待ち人数は15名。結構またされそうでしたので、6時45分ごろ長女に電話をして
私「ごめんね、やっぱり混んでたよ。大丈夫?」
長女「大丈夫だよーじゃぁご飯だべれるようにしておくよ!」
私「あっでも、味噌汁まだ何もやってないの。作れない?」
長女「うーん。。。鍋に水入れて、ダシいれてやればいい?」
私「そうそう、ダシはいつもの引き出しね。野菜は好きなもの冷蔵庫からだしてきってくれればいいから、
お願いできる?」
長女「やってみるよ。わからなくなったら電話するね!いつ電話してもいい?」
私「うん、いいよ。出れるようにしておくね!」

そういって電話をきりました。正直長女が味噌汁つくりを承諾してくれるとは思っていませんでした。
最近はもっぱらの盛り付け担当。それ以外は「やらない。」といい今日は久しぶりにもやし炒めをやってくれた
くらいです。

そしてゼロからすべて一人で味噌汁を作ったことも遠い記憶にあるくらい。
いつもは私のいるキッチンで私の支持を仰ぎながらやることはあってもはじめから最後までは初体験のはず。

私の中で帰宅時間が遅くなり、ご飯もいつもより遅くなると想定されたので、味噌汁なしの夕食にとも考えていたので、
だめもとで長女には頼んだのですが、なんと「やってみる」との返事。

でもなぜか不安感はなかったので、なんとかなるかなって思いました。

そして7時30分ごろやっと病院での診察が終わりました。

それまで私の携帯は一度もなりませんでした。

そして、自宅にかえってみるとなんと!!食卓テーブルはきれいに茶碗やおわんが並べられ、後はよそうだけ。
主食もゆでっぱなしだったとうもろこしもきれいに並べられていました。

そして味噌汁も3種の野菜が入り、食べるだけの状態でコンロにのっていました。

私は「できたんだね!ありがとー!」
長女「結構早くできたら、また漢字べんきょうしてたところー」とニソニソとキッチンへやってきた長女

「あれ?味噌汁たまねぎいれてくれたの?切れたんだね!」
「うん、いつもママいれるからやってみよっかなーって思ってね。意外に大丈夫だったよ☆あとはにんじんとキャベツね!
切りくずの野菜はここにおいてあるから、ママスープに使うかなーって思って」

たまねぎは本当に小さい頃一緒に切って、涙がでておお泣きしてからはほぼ拒否の長女。カレーのときでさえ、
たまねぎはママがやってね。といっているのに、今回は皮も剥いて、そして細かめに切って。
キャベツも自分の苦手は芯はきれいにそいでありました。
そして私が端切れ野菜でベジスープを作ることをしっていて、切れ端は残しておいてくれた。

もう完璧なできばえで、そして何より、私よりおいしい味噌汁だったということ。

そんな長女は「あれ、結局今日の夕食は私がほぼ作ったみたいだね。私の常在菌たっぷりのご飯だね☆」
とやっぱり本人が一番おいしそうに食べていました(笑)

遠藤さんが以前「育ってきている娘をみて、もうお嫁に出しても恥ずかしくない」というコメントをした人がいましたよって
おっしゃっていましたが、そんな姿が長女にもみられました。

材料さえあれば、なんとか食べていけるなこの子はって思いました☆

年を重ねるごとに、長女にたいして、信頼できるという気持ちが増していきます。

火の舞の選抜とB講座のお知らせ

長女、無事に火の舞の選考を通りました☆
選考を通ったといっても、大半の子がいろいろな理由で(放課が練習でなくなる・手が痛い・できないなど)
火の舞を辞退したそうで、そんなにも倍率があったわけではなく
彼女も通る自信はなんとなくあった雰囲気でした。

ともあれ、無事に夏山合宿での火の舞ができることになりました☆

毎日新しい技を覚えて来ては私に披露してくれる長女。

いつも本ばかり読んでいて、内向的な雰囲気の長女ですが、
火の棒をブンブンまわしている姿は惚れ惚れしてしまいます。

「好きこそものの上手なれ」
まさにその通りです。

そんな長女の姿をみて、親がいくら子の為と言って・良かれとして伝えることも
本人にとって必要と思えることでなくては、「本当に必要」なことには
ならないのだな。と感じました。

やっぱり、遠藤さんのおっしゃる「ありのまま」大切なことですね。

さて・21日から23日まで安城での「子育ち講座B1」か開講されます。
今年度の受講生のみなさんにとってよい講座になりますように☆

OBの方などの傍聴も受け付けていますのでお気軽にいらしてくださいね

2015年6月8日

長女が7月の山の学習で火の舞をしたい!と目を輝かせて帰ってきました。
いつも学校でも家でも本を読むのが大好きな長女。毎日図書館に通ういわゆる文系的な長女。
好きなことは?と聞かれれば「本を読むこと」それを超えるものはないようなのですが、
でも「木登りも好きだよ!」とも答える長女。

そんな長女が5年生の山の学習での火の舞を希望したのです。そしてそれ以上にびっくりなのは
希望者が娘のクラスには男の子2人に女の子1人。つまり、クラスの中で火の舞に挑戦するのは娘だけの様子。
しかし、150名ほどいる学年からの希望者は40名を越えているようで、その中で選抜は20名。
相当やりたい様子で、帰宅後、とにかく火の舞に使うトーチを用意してほしいと頼まれました。

もちろんトーチなど売っているはずもなく、手作りするほかないのではと思いました。

娘は4日間練習があり、その後選抜テストがあるから、とにかく近日中に練習を開始したいとのこと。

私も過去に林間学校で火の舞を経験したことがありますが、でも自分かどう選抜され、練習したか遠い記憶になっており、
さてどうしたものかと思案していましたら、ふと傘が目に付き、傘を振り回して練習していたことを思い出しました。

早速思いついた月曜日に娘に「傘でできるかもよ☆」と伝えると娘は早速納屋にこもって練習開始。

「ママ!できてるか見て!!」

といわれ、私も過去の自分の姿を思い出しながら一緒になって日の舞の猛特訓。早速娘は指の皮が剥けました。

数日後、学校での練習の様子を聞いてみると、「女子の希望者の中で私と〇〇ちゃんしかできないから、教えてあげてるんだよー」
といっていました。選抜のライバルにまでやり方教えてあげるんだーと大人の嫌な考えが頭をよぎりましたが、
以外に飲み込みの早い長女の姿に内心びっくりしました。

運動にはめっきり興味のない長女。(次女は大の運動好き。特に速度にこだわるタイプです笑)
目立つのも好きではなく、自分が好きなものがあればそれでいいじゃん。
ということも多いので、みんなの前で火の舞をやりたいと決めた長女の秘めた闘志に
純粋に「かっこいいなー」と思った私。

私が長女に「ママ、火の舞できるように祈ってるね!」と伝えると
「ねーそればあちゃんも、全く同じこと私に言ってたよ!」といい、昨日お風呂場で夫が
「パパ、〇〇が火の舞選抜されるように祈ってるから!」と家族のほうがドキドキしているのが
丸わかりの我が家。

しかし、これって本当はこどもにはプレッシャーになるのか?
選抜に受かっても受からなくても、まねで返すのが子育ち?と思いましたが、
私たち家族は長女の日ごろ見ない姿に自然に応援したくなってしまった感情は仕方ない。と解釈しました。

過度な応援はやめて、彼女の特訓を見守り、いよいよ明日選抜試験になります。
さて、いったいどうなるのでしょうか。

内心ドキドキの私。。。。。