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10歳の儀式「母親の卒業」2

さて、前回の「母親の卒業」の続きです☆

帰宅後はもう眠る時間も近かったのでそのままやることを済ませて、就寝。 次の日になると何故か美奈がとても甘えてくる気がしました。毎朝起きて来ると「ぎゅーっ」と抱きしめているのですが、その日は美奈も強く私にぎゅーっとしてきました。いつもはぎゅーっとされるままだったのに、私は「「おっ??」とおもいました。  登校前も「ママ、今日は私が帰るときいる??」と聞いたり、いつまでも玄関からでようとしなかったり。帰宅後には「ママがやって~」と何でも私にくっついてきました。そして妹とすぐに喧嘩をしたり、些細なことで泣いてみたり、普段あまりみられない娘の様子。

私はいろいろ想像していたわけではありませんが、娘の意外な態度に正直びっくり。昨日の卒業宣言の前まではなんだか大人っぽい行動だった娘が急に幼くなり、「どうしたのかなー?」と思うほどでした、

そんな様子が数日続き、ある日みなとさきが少し喧嘩のような雰囲気になり、さきが私に泣きついてきましたそれにまねで返して抱きしめる私をみて、みなが「もう!そんなんだったらいいよ!」といい、そして「バン!」と扉をしめて泣きながら和室へ引きこもりました。

しばらくして私が覗きにいくと、机に向かって読書をしていました。私が「おやつでも食べる?」というとみなは「さきやだ。」といったので、「さきやだねー」とって娘をぎゅーっとする。数秒間じっとした後。「おやつ何?食べたい」といってリビングへ戻って行きました。私がおやつを出すと、さきとにこっと目を見合って食べはじめました。その後みなが私にべたべたしてくることも減り、自分のことは自分でやるようになりました。そしてとてもすっきりした様子でした。

私の分析ですが、きっと「母親を卒業するね」と言う言葉がそうさせたのかなーとも感じました。うまく言葉にはできませんが、彼女が現実を見ようとして、でもなんだかウズウズ・・・というなんともいえないもやもやの感情が表れていたのかな?そして最後の大噴火と涙ですっきり落ちたのかなーと思いました。

笑ったり、喜んだり、怒ったり、悲しんだりの感情が心を定着させていくのかなーなんて思いました。

以上「母親の卒業式」でした☆みなさんも少し先の未来に「卒業」を考えて過ごしてみてください♪

10歳の儀式「母親の卒業」

年末に書かせていただいた記事にありました「10歳の母親の卒業」について今日は書かせていただきます。子育ち講座を受講したときから10歳までは「母親」それ以降は「母」となる。このことを頭の中で描きながら子と接してきました。昨年の2月7日で長女美奈は10歳になりました。その時私は「美奈の母親」から卒業させてもらい「美奈の母」となる宣言をさせてもらいました。その事をずっと書きたかったので書きます☆

まず、美奈の9歳のお誕生日の後、私は「10歳になったらママは美奈の母親から母になるね」と伝えました。すると彼女は「え??どういうこと?」とちょっとびっくりした表情で私に問いかけました。私は「どういうことだろうね~」と返答。 それから一年がたち、10歳の誕生日の一週間前に美奈に「2月6日誕生日の前日の夜、ママと二人で食事に行かない?みなの行きたかったレストラン予約するか。スペシャル席で☆」と誘うと

「えー?二人で?何で~??あっもしかして母親から母になるとか言ってたやつ??」
「そうそう、ママの卒業式させてもらおうと思って」
「ふーん。いいよ。。。。。。(しばらく沈黙) あっレストランって〇〇〇??予約したの?あの席とれた?」
「うん、取れたよ☆じゃぁ行こうね!」

という具合で話は進み、当日夫には早く帰ってきてもらい(夫にも卒業の話をして、今後は世間のことや社会のことを折を見て美奈に伝える役割を担って欲しいとも伝えました。そしてその日は次女を面倒みていてください。とお願いしました。)そしてずっと美奈が行きたがっていたレストラン(天蓋つきの席)へ向かいました。お店に入ると娘は急にはずかしそうにして、あまり話さなくなりました。そして、食事を注文して待っている間に私が美奈に向かって
「今まで10年間美奈の母親をさせてもらってきたのね。ありがとう。明日で美奈は10歳になるから、ママは今日で母親は卒業して、母になろうとおもうの。」
と言って毎年の誕生日に作っていた美奈の誕生日色紙を10枚重ねてラッピングしたもの(10歳の分を新しく作り足してあります。)を渡しました。美奈は「え??10歳の色紙も入ってる??」と言いながら包みをあけて、ゆっくり色紙に目を通していました。色紙には私からの手紙も入っていて、でもそれは空けずにテーブルの隅においたまま。私が「読まないの?」と聞くと「なんか恥ずかしいもん・・・・」といってニソニソおちゃらけたりしていました。でもそのうちおもむろに手紙をとり、読み始めました。そして読み終えてから私に「ママー、母親から母になるって一人ひとりの人間になるってこと?」と聞いてきました。
私は「うん、そんな感じかな☆」と答えました。

美奈がこんな表現をするとは思っておらず、このとき私は言葉にできない信頼感を感じました。

それから少しおしゃれな料理がきて、私からの花火つきサプライズケーキにびっくりしながらも、楽しく食事を終えて帰りました。帰り道には「さきが10歳のときにもやるの??」と聞き「うん、そのつもりだよ」と私。「ふーん。咲希はなんて言うだろうね~」なんて会話をしました。

続く☆

明けましておめでとうございます☆

あけましておめでとうございます☆皆様いかがお過ごしでしょうか? 本年もどうぞよろしくお願いします!

昨日から小学校も始まり、お正月気分ともお別れで通常の生活に戻りつつあります。そんな中昨日は「七草粥」を食べる日でした☆皆さんは七草粥たべられましたか?

私は我が家の庭で採れるゴギョウやハコベ・すずな・すずしろを入れて七草粥を食べました。七草採りは娘たちに一声「七草とってきて~」と言うと、ささーっと庭から採取してきてくれました。年末に草取りの時にも、七草は食べるまでとっちゃだめーと夫や祖父に助言。最近めっきり私に似てきたなぁ~と長女を観察しています。

今年一年も無病息災でありますように☆

そして今年も「遠藤式子育ち理論研究所」をよろしくお願いします☆

今年もお世話になりました☆

あっという間に11月30日☆

数日間我が家全員がいつも憩える場所として当たり前のようにある我が家にお礼の気持ちも込めて家族で大掃除をしています☆子たちも本当に大きくなり、いらいらしたり、バタバタしたりする時間が格段に減ってきたな~と感じます。

今年一年間本当ありがとうございました。みなさんのおかげで念願の「遠藤式子育ち理論研究所」を立ち上げることができ、そして長女が10歳の節目を迎え、次女は1年生になりました。

長女には2月に母親業の卒業式をさせてもらい、母親から母になりました。(これに関しては後日☆)そして今年の11月にはサンタクロースの秘密を伝え、(こちらも後日☆)さらに大人へ一歩近づきました。長女の大人な考えを聞くたび、「子育ちやっててよかった~」と思います☆                            次女は4月に1年生となり、涙涙の登校で、付き添いの日々がはじまりました。今では朝は泣くものの学校では学級委員(並ばせ委員といいます)を自ら立候補して、しっかりと活動をしている模様。家庭での爆発は大いにしてもらわなくては☆と感じる日々です!

それもこれも子育ちの理論で進める育児を私の周りにいる方と共感し、学びあえているからであり、そんな今現在が本当に私は嬉しいなと感じます。

日本の中で私たちのような小さな母親の集団があちらこちらでじわじわと小さな芽を育て、その芽は確実に成長している。それがいつかこの混乱の日本を根底からしっかりと支えてくれたらと思います。

来年も遠藤さんを主軸とした母親業の集団が今後もあちらこちらで地道な育児をしてくださることを祈っています☆

一年間本当お世話になりました

☆来年度も素敵な一年になりますように☆

日課の大切さ☆

中日新聞の記事をみていたらこんな興味深い記事がありましたので
ご紹介します☆

2015・10・14 中日春秋より
豪放磊落な印象が強い文豪ヘミングウェーは、いくら深酒をしても、夜明けとともに起きて執筆をした。
そして「自分をごまかさないため」に、毎日書いた語数を表に記録したという。
作曲家のストラビンスキーは創意が湧こうと湧くまいと、午前9時から午後1時まで仕事に集中した。作曲は必ず窓を閉めて行い、 行き詰ったら逆立ちをするのが彼の流儀だそうだ。
偉大は芸術家や哲人がどういう日常的な習慣をつくり、守っていたのかを追った労作「天才たちの日課」の著者Mカリー氏は
「ゆるぎない習慣は、精神の涵養(かんよう)につながり、感情の波に流されるのを防ぐ」としてきしているが、ラグビーの日本代表・五郎丸歩選手は「日課の天才」だろう。
球を二度回して置き、ゴールの位置を確かめつつ後ろに3歩、左へ2歩、右手で球を押し出すイメージをつくり、両手を合わせて力を体の中心に集中させ、助走に・・・と儀式のごとき動きで正確に蹴りだす。
世界一とも称されるような猛練習の末に立ったW杯の晴れ舞台。磨き上げた所作の一つ一つに集中することで、とてつもない重圧やあふれ出そうになる感情と闘い、楕円の球で美しい弧を何度も描いた。
3勝したものの悲願のベスト8はならず、試合終了後は封印していた涙をぽろぽろ流した。感極まって言葉を失ったが、重ねた日課が作り上げた作品にも見えた。

という記事をみて、わぁ~と思い、すぐに切り取り、拡大コピーをして子育ち仲間に見せました
「ゆるぎない習慣は、精神の涵養(かんよう)につながり、感情の波に流されるのを防ぐ」

涵養とは地表の水が地下に浸透し、地下水となることを指す。水が自然に染み込むように、無理をしないでゆっくりと養い育てること。という意味があるそうで、日常の日課がゆっくりゆくりと体に浸み込み人間を形成していく。ということなのですね☆そしてその日課によって、
感情の波にながされる=気分に支配されるのを防ぐ
ということなのではないかなーと思いながら読み重ねています。

子たちの日課は定着し、流れているものの、子たちが就寝中の私の日課が徹底できない自分に課題があるなーと日々思う私です。。。。。笑

 

まずはこの怠惰なブログ書きを日課にいれてみよう・・・・・

泣くこと・泣けること☆

こんにちは☆ずーっと書こう書かなくては!!と思いながら、いろいろ忙しさを口実に
そして、ちょっと自分に甘えてサボってました☆しばらくぶりです!

こうしてパソコンに向かえたのも今日このHPを見て、私に素敵なメールをくれた方がいらっしゃって、
そして友人の原さんが「毎日みてますよー」とぜんぜん更新してない私にブログに注目してくれたりと
本当に皆様からありがたい気持ちをいただいたからです。

さて、今日は1年生になって、5月から夏休みまで、私が学校の授業へ付き添うか校門まで(徒歩30分)見送るかを
していた次女の話です。
次女はもともと園児のときから私と離れるのが苦手で、いつも登園後は泣いていました笑

入学後は園児時代散々泣いたらいけるかな~と思っていたら、GW当りから「行きたくない~ママがいい~」
と泣くようになり、いろいろあって私が付き添うことになりました。
そして校門前まで一緒に歩きそこでひと泣きしたら、教室へ行けるようになりました。
そのときも次女は家を出てから、学校まで3つのトンネルをくぐっていくのですが、
3つ目をくぐると、3分ほどで学校へつくのですが、その3つ目をくぐると決まってポーチから
ハンカチを出し、手に握り、門の前で涙をながし、「ママ帰りは家にいてね」と私に伝え、
門をくぐって学校へと入っていく日を繰り返していました。

そして夏休みに突入。彼女は毎日ルンルンで誰よりも早く起きて、毎日を満喫しておりました。
私は9月になったらどうなるかなーとは思っており、
私の母が次女に「9月からは一人でいってみたら?ママもお仕事とかあるから大変だよ」と言ったことは母から聞きました。
でも本人にはついて行かないからねとも伝えてはなかったのでどうなるかなーとは思っていました。

そして、新学期。9月1日になり、朝からどうするかなーと見ていると、食事が終わり→歯磨き→荷物を持つと次女が
「ママー玄関の外までは来てね~・・・・泣」と号泣しながら言うので
「うん、玄関の外までは行くね」といい靴を履く指示を出し、外へ出ました。
そして号泣しながらも通学班で並び歩いて行きました。

そして帰り時間。
夏休み前と変わらずルンルンで帰宅した次女に、「学校どうだった?」と聞くと
「うん!初めて泣かないで美奈ちゃん(姉)とバイバイできたよ☆」といい本人もルンルンでした。

2日の朝
その日はなぜか泣かずに班で並んで登校。

しかしかえってくると「ママー今日泣かないで学校いっちゃったから、美奈ちゃんと別れるとき泣けちゃった~」と言いました。
私はぷぅっっと吐き出しそうになりましたが、「そっか朝泣かないで行ったから学校で泣けちゃったんだね」といいました。

3日の朝
次女は「ママ・・・・帰ってきたらいてね~・・・」と泣いて玄関を出ました。

帰宅後「今日は泣かなかったよ!なんか家で泣くと学校で泣かないみたい!家で泣いて行くね☆」
と。

その日から次女は朝行く前に泣いて、学校では泣かずにいられるようになっています。

次女は日曜日の夕方くらいからおかしくなります。
姉には暴言を吐き、父親にはめちゃくちゃに甘え、私には泣きついてきます。
そして月曜日の朝には「ママ~わーん」と泣き 「泣きたいときは泣いていいでしょ!泣いたら学校行くもん」
といって泣いております。今朝も泣いていきました笑

長女も園児の頃10分で歩ける園を30分から40分かかって歩き「泣いてから行くー」と園の前でないて
よく登園していました。

いつも遠藤さんは「泣くことは大切。子どもも大人もね。大人も時々なくといいんですよ。」とおっしゃいます。

でも長女美奈はもうあまり頻繁にはなかなくなりました。
姉妹の喧嘩であまりに嫌だったときとか
私と言い争いになったときに、悔しくて泣くくらい。

豊かに泣いている次女をみていると、大切な時間だな~と思います。

いつでもお嫁にいけるってこういうこと??

昨日のできごとです。

午後6時ごろ私は夕飯の支度中(我が家は大体6時半ごろが食事です)
長女(5年生)は豚肉ともやし炒めを10分くらいで作ってくれたあと、漢字の勉強をしていました。

6時前に公園から帰ってきた次女(一年生)は残っていた宿題を終え、自分のしたいことをしていた後、私のところへきました、
私は「お味噌汁何入れる?」
次女「ママー首痛いの。」
実は昨日の体操教室(年中時代から懇願していた体操教室に4月から通っています)でトランポリンで首をひねったらしく
昨日から痛がっていたのです、
私「やっぱりよくならない?今から病院でみてもらってこようか」
次女「うん、そうする」

私は味噌汁を作らずに、長女に「病院へいってくるけど、どうする?」
長女「私やりたいことあるし、待ってるよ。時間かかる?」
私「混んでたらかかるかもしれないけど、何かあったら電話して」

そして病院へ
自宅から数分の病院でしたが、待ち人数は15名。結構またされそうでしたので、6時45分ごろ長女に電話をして
私「ごめんね、やっぱり混んでたよ。大丈夫?」
長女「大丈夫だよーじゃぁご飯だべれるようにしておくよ!」
私「あっでも、味噌汁まだ何もやってないの。作れない?」
長女「うーん。。。鍋に水入れて、ダシいれてやればいい?」
私「そうそう、ダシはいつもの引き出しね。野菜は好きなもの冷蔵庫からだしてきってくれればいいから、
お願いできる?」
長女「やってみるよ。わからなくなったら電話するね!いつ電話してもいい?」
私「うん、いいよ。出れるようにしておくね!」

そういって電話をきりました。正直長女が味噌汁つくりを承諾してくれるとは思っていませんでした。
最近はもっぱらの盛り付け担当。それ以外は「やらない。」といい今日は久しぶりにもやし炒めをやってくれた
くらいです。

そしてゼロからすべて一人で味噌汁を作ったことも遠い記憶にあるくらい。
いつもは私のいるキッチンで私の支持を仰ぎながらやることはあってもはじめから最後までは初体験のはず。

私の中で帰宅時間が遅くなり、ご飯もいつもより遅くなると想定されたので、味噌汁なしの夕食にとも考えていたので、
だめもとで長女には頼んだのですが、なんと「やってみる」との返事。

でもなぜか不安感はなかったので、なんとかなるかなって思いました。

そして7時30分ごろやっと病院での診察が終わりました。

それまで私の携帯は一度もなりませんでした。

そして、自宅にかえってみるとなんと!!食卓テーブルはきれいに茶碗やおわんが並べられ、後はよそうだけ。
主食もゆでっぱなしだったとうもろこしもきれいに並べられていました。

そして味噌汁も3種の野菜が入り、食べるだけの状態でコンロにのっていました。

私は「できたんだね!ありがとー!」
長女「結構早くできたら、また漢字べんきょうしてたところー」とニソニソとキッチンへやってきた長女

「あれ?味噌汁たまねぎいれてくれたの?切れたんだね!」
「うん、いつもママいれるからやってみよっかなーって思ってね。意外に大丈夫だったよ☆あとはにんじんとキャベツね!
切りくずの野菜はここにおいてあるから、ママスープに使うかなーって思って」

たまねぎは本当に小さい頃一緒に切って、涙がでておお泣きしてからはほぼ拒否の長女。カレーのときでさえ、
たまねぎはママがやってね。といっているのに、今回は皮も剥いて、そして細かめに切って。
キャベツも自分の苦手は芯はきれいにそいでありました。
そして私が端切れ野菜でベジスープを作ることをしっていて、切れ端は残しておいてくれた。

もう完璧なできばえで、そして何より、私よりおいしい味噌汁だったということ。

そんな長女は「あれ、結局今日の夕食は私がほぼ作ったみたいだね。私の常在菌たっぷりのご飯だね☆」
とやっぱり本人が一番おいしそうに食べていました(笑)

遠藤さんが以前「育ってきている娘をみて、もうお嫁に出しても恥ずかしくない」というコメントをした人がいましたよって
おっしゃっていましたが、そんな姿が長女にもみられました。

材料さえあれば、なんとか食べていけるなこの子はって思いました☆

年を重ねるごとに、長女にたいして、信頼できるという気持ちが増していきます。

火の舞の選抜とB講座のお知らせ

長女、無事に火の舞の選考を通りました☆
選考を通ったといっても、大半の子がいろいろな理由で(放課が練習でなくなる・手が痛い・できないなど)
火の舞を辞退したそうで、そんなにも倍率があったわけではなく
彼女も通る自信はなんとなくあった雰囲気でした。

ともあれ、無事に夏山合宿での火の舞ができることになりました☆

毎日新しい技を覚えて来ては私に披露してくれる長女。

いつも本ばかり読んでいて、内向的な雰囲気の長女ですが、
火の棒をブンブンまわしている姿は惚れ惚れしてしまいます。

「好きこそものの上手なれ」
まさにその通りです。

そんな長女の姿をみて、親がいくら子の為と言って・良かれとして伝えることも
本人にとって必要と思えることでなくては、「本当に必要」なことには
ならないのだな。と感じました。

やっぱり、遠藤さんのおっしゃる「ありのまま」大切なことですね。

さて・21日から23日まで安城での「子育ち講座B1」か開講されます。
今年度の受講生のみなさんにとってよい講座になりますように☆

OBの方などの傍聴も受け付けていますのでお気軽にいらしてくださいね

2015年6月8日

長女が7月の山の学習で火の舞をしたい!と目を輝かせて帰ってきました。
いつも学校でも家でも本を読むのが大好きな長女。毎日図書館に通ういわゆる文系的な長女。
好きなことは?と聞かれれば「本を読むこと」それを超えるものはないようなのですが、
でも「木登りも好きだよ!」とも答える長女。

そんな長女が5年生の山の学習での火の舞を希望したのです。そしてそれ以上にびっくりなのは
希望者が娘のクラスには男の子2人に女の子1人。つまり、クラスの中で火の舞に挑戦するのは娘だけの様子。
しかし、150名ほどいる学年からの希望者は40名を越えているようで、その中で選抜は20名。
相当やりたい様子で、帰宅後、とにかく火の舞に使うトーチを用意してほしいと頼まれました。

もちろんトーチなど売っているはずもなく、手作りするほかないのではと思いました。

娘は4日間練習があり、その後選抜テストがあるから、とにかく近日中に練習を開始したいとのこと。

私も過去に林間学校で火の舞を経験したことがありますが、でも自分かどう選抜され、練習したか遠い記憶になっており、
さてどうしたものかと思案していましたら、ふと傘が目に付き、傘を振り回して練習していたことを思い出しました。

早速思いついた月曜日に娘に「傘でできるかもよ☆」と伝えると娘は早速納屋にこもって練習開始。

「ママ!できてるか見て!!」

といわれ、私も過去の自分の姿を思い出しながら一緒になって日の舞の猛特訓。早速娘は指の皮が剥けました。

数日後、学校での練習の様子を聞いてみると、「女子の希望者の中で私と〇〇ちゃんしかできないから、教えてあげてるんだよー」
といっていました。選抜のライバルにまでやり方教えてあげるんだーと大人の嫌な考えが頭をよぎりましたが、
以外に飲み込みの早い長女の姿に内心びっくりしました。

運動にはめっきり興味のない長女。(次女は大の運動好き。特に速度にこだわるタイプです笑)
目立つのも好きではなく、自分が好きなものがあればそれでいいじゃん。
ということも多いので、みんなの前で火の舞をやりたいと決めた長女の秘めた闘志に
純粋に「かっこいいなー」と思った私。

私が長女に「ママ、火の舞できるように祈ってるね!」と伝えると
「ねーそればあちゃんも、全く同じこと私に言ってたよ!」といい、昨日お風呂場で夫が
「パパ、〇〇が火の舞選抜されるように祈ってるから!」と家族のほうがドキドキしているのが
丸わかりの我が家。

しかし、これって本当はこどもにはプレッシャーになるのか?
選抜に受かっても受からなくても、まねで返すのが子育ち?と思いましたが、
私たち家族は長女の日ごろ見ない姿に自然に応援したくなってしまった感情は仕方ない。と解釈しました。

過度な応援はやめて、彼女の特訓を見守り、いよいよ明日選抜試験になります。
さて、いったいどうなるのでしょうか。

内心ドキドキの私。。。。。